HOME > 『島いとこ』の歴史
屋久島の文化『島いとこ』の誕生
①屋久島では昔からトビウオ漁・サバ漁がさかんだった
その際、他の集落の港を利用することがあり、しけたときなども始めは自らの船に寝泊りしたが、徐々に各集落の方々が自宅に泊まらせるようになっていった
②物の売買をする時、日帰りができないことが多々あり、宿泊せざるを得ないため御世話になった
③奥岳への岳参り(屋久島は山岳信仰の島である)で、山で知りあい、友達になり親交を深め交流するようになった
④各集落の青年団同士の交流
(*ちなみに屋久島では藩政時代から青年集団があってニセ(二歳)組と呼ばれていた)
⑤各種大会・競技等で訪問
(*明治32年(1889年)初めて上屋久村連合運動会が行われる)
⑥島外へ出る際、前夜出港する集落の家に御世話になった
このように「島いとこ」はさまざまな形から生まれました
きっと、もっともっといろんな形があったと思います